2005-2006シーズン、スコットランドリーグカップを制した試合後、メディアのインタビューにのぞんだストラカン監督は、インタビュアーが2得点のショーン・マロニーについて尋ねたにもかかわらず「それよりも中村のプレーを見たかい」と延々と中村を絶賛した。
2007年、リーグ2連覇を決めた試合後のインタビューでは、「周囲が言うとおり、中村はタックルができない。ヘディングもできない。それがどうした。彼は天才だ。」とコメントしている。
現役時代、技巧派のプレーメーカーとして知られたストラカンは、それまでのセルティックの中盤を省略したサッカーを改革すべく、当時、イタリア、セリエAのレッジーナで活躍していた中村俊輔に白羽の矢を立て、獲得に動いた。ストラカンは、中村に対し「グラウンド上およびチーム世代間のギャップを埋めることができる選手」であり、「彼がひとたび(クラブ本拠地の)セルティック・パークでプレーすれば、なぜ私が彼にここまで執心したかをすぐに理解できるだろう」と期待感を述べた。中村がセルティックに入団すると、すぐに先発起用し、その後もチームの中心として起用しつづけた。チームは、スコットランド・プレミアリーグ2連覇、UEFAチャンピオンズリーグ ベスト16など輝かしい成績を残した。
ストラカンと中村は2008-2009シーズン終了後に両者ともセルティックを離れたが、リーガ・エスパニョーラのRCDエスパニョールに移籍したものの、実力を発揮できず、出場機会が減少していた。2010年1月にミドルスブラFCを率いていたストラカンはエスパニョールに対して中村のレンタル移籍の正式オファーを出した。しかし、中村はこれを拒否してエスパニョールへ残留し、その後2月に古巣である横浜F・マリノスへ移籍した。