元日本代表・中田英寿は、1998-1999シーズン、イタリア・セリエAのペルージャに移籍。開幕戦のユヴェントス戦で2ゴールを上げるデビューを果たすなど、シーズン10得点を上げるなど活躍した。翌1999-2000シーズンも引き続き活躍し、シーズン途中に1600万ドルで名門ASローマへ移籍。同じポジションに、『ローマの王子様』と称されるフランチェスコ・トッティがいたことに加え、外国人枠の問題もあり、途中出場が多かった。
そんな状況の中、セリエA2000-2001シーズンの終盤、第29節・2001年5月6日、天下分け目の頂上決戦、「ローマ(1位 勝点63) vs ユヴェントス(2位 勝点57)」
この日も中田はベンチスタート。この試合で勝てば、一気に優勝も見えてくるホームのユーヴェは、前半から攻勢をかけ、4分にデル・ピエロ、6分にジダンの得点が決まり、早くも2-0とリードした。
2点のビハインドを抱えたローマのカペッロ監督は、後半からデル・ベッキオの代えてモンテッラを投入。後半14分にはエースのトッティに代えて中田を投入。
中田は持ち前の運動量とフィジカルの強さを生かして、攻守に奮闘し、後半34分、タッキナルディからボールを奪うと、迷わずロングシュート。これが決まり、いつもは感情を表に出さない中田にしては珍しく「ヨッシャ!」とガッツポーズを見せた。
その後もローマは猛攻を見せ、ロスタイムに入った後半46分。カンデラとのパス交換でボールを受けた中田が再び、強烈なロングシュート。相手キーパー・ファン・デル・サールが弾いたところをモンテッラが押し込み、2-2の同点に。そのまま試合終了を迎え、ローマは優勝を決めた。
試合終了後、中田に抱きつくモンテッラ。交代時には不服そうだったトッティも中田に抱きついた。
試合後、ジダンは、「ローマには中田がいたからユーベはスクデットを逃した」とコメントした。
2013年年末にコリエレ・デッロ・スポルトが行った「過去30年間で心に残るユーベ対ローマ」アンケートで、実に51.4%の読者がこの試合を選んだ。