川照之は東京大学四年生だった22歳に母親である浜木綿子に「役者になりたい」と告げた。すると浜は「あんた、役者やりたいんだったら、裏方の仕事わかってやんなさいよ」と、プロデューサーの石井ふく子に頼み、夏休みの間、TBSドラマの現場でADとして働くことになった。
出演者の泉ピン子と「何待ちなんだよ、オイッ!?」「すいません、ピン子さん。申し訳ございません。いま、ちょっとですね、いろいろなものがありまして・・」「あたしはもう待てねえんだよ!」のようなやりとりをするなど、裏方の厳しさを味わったらしい。自分からは言わなかったが、浜木綿子の息子だということが浸透するにつれ、出演者やスタッフの態度も変化していったらしい。
俳優になった今でも当時のチーフADなどに会うと、ピシっと最敬礼になるとのこと。
また、AD時代の後輩に映画監督の行定勲がいる。