ポルノ映画の出演や用心棒などで生活費を稼ぎ、極貧生活を送っていたシルヴェスター・スタローンは、テレビで世界ヘビー級タイトルマッチ「モハメド・アリ対チャック・ウェプナー」戦でのウェプナーの大健闘に感銘を受け、わずか3日で『ロッキー』の脚本を書き上げ、プロダクションに売り込んだ。
プロダクションはその脚本の出来の良さから7万5千ドルという破格の値をつけたものの、主演はポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード、アル・パチーノなどの有名スターを起用することを条件とした。スタローンは、「貧乏とはうまく付き合うことができる」といって、目先の金に目もくれず、あくまで自分が主演することを譲らなかった。
長い交渉の結果、監督のアビルドセンのギャラは相場の半額であり、スタローンは俳優組合が定める最低金額、36万ドルまで高騰した脚本料を2万ドルに減額。プロデューサーのウィンクラーは自身の家を抵当にして予算を集めたという。作費はテレビシリーズ1本分(約100万ドル)という低予算で撮影された。
製作後、映画監督たちを招いて試写会を開いたが、上映が終わると監督たちは足早に退席した。これに深く失望したスタローンは伴った母に「僕はやるだけやったよ」と答え、帰ろうと席を立った。すると出口前で監督たちが待っており、万雷の拍手で迎えられたのでスタローンは感動したという。
公開当初、無名俳優の書いた脚本をB級映画出身の監督が製作した映画に周囲の視線は冷ややかだったが、三流ボクサー・ロッキーが栄光を手にするアメリカンドリームを表現した映画は観客の心を掴み、瞬く間に全米だけで1億ドルの興行収入を記録。同年の第49回アカデミー賞作品賞を獲得するなど、数々の映画賞を受賞。主演と脚本を担当したスタローンも、一躍スターダムに上りつめ、作品中のロッキー同様、アメリカンドリームを掴んだ。